大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)922号 判決

控訴人

橋本豊造

右訴訟代理人

山根彬夫

外二名

被控訴人

蓮沼欣治

右訴訟代理人

植木植次

外一名

主文

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人は控訴人に対し、控訴人が被控訴人に金四八万円を支払うのと引換えに、別紙目録記載の家屋を明渡し、かつ昭和四六年六月九日から昭和四八年一一月三〇日まで一か月金二万円、同年一二月一日から明渡ずみまで一か月金三万円の割合による金員を支払うべし。

3  控訴人のその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。

5  この判決は、主文第二項につき、控訴人において金五〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件家屋が控訴人の所有で、控訴人がこれを昭和四〇年一二月一日被控訴人に対し期間二か年と定めて賃貸したことは当事者間に争いない。

二一時借家契約について

控訴人は本件賃貸借は一時使用を目的とする賃貸借であるから右期間の満了により終了したと主張するが、当裁判所のこの点に関する判断は、原判決理由二を次のとおり訂正するほかこれと同一であるから、これをここに引用する。原判決五枚目裏七行目訂正〈省略〉、同八枚目表六行目「してみると」から同九行目の終りまでの部分を次のとおり訂正する。

借家法八条にいう「一時使用ノ為建物ノ賃貸借ヲ為シタルコト明ナル場合」とは、賃貸借の目的、動機、その他諸般の事情からその賃貸借契約を短期間内に限り存続させる趣旨のものであることが客観的に判断される場合でなければならないと解するのが相当である(最高判昭和三六年一〇月一〇日参照)。控訴人は本件賃貸借成立の昭和四〇年一二月一日当時破産会社の破産宣告直後でそのことや他の同族会社再建に奔走中で、本件家屋を近い将来に自己または家族が使用するとの具体的計画は何ら存在しなかつたこと。そして、本件賃貸借の契約の動機は、留守番をしていた塚田シンが控訴人のため支出した有益費用合計金約一〇数万円の回収のため、塚田が控訴人の妻の了解だけで賃貸し、後日控訴人がこれを追認したものであるが、塚田の右立替金回収のためだけであれば、賃料一か月金二万円であるから僅か数か月賃貸すれば足りるところ、通常の賃貸借と同様の期間二年の定めをし、控訴人がそのまま追認したことからみると、賃貸借の目的は通常の場合と異なるものではないというべきである。また、本件賃貸借に際し、被控訴人が不動産取引業者や控訴人から長くは貸さない旨述べられたことはあるが、二年間に限つて賃借する旨承諾したとみるべき事情は何も見当らない。これらの点からみると、本件賃貸借が二年に限り存続する趣旨であつたことを客観的に判断できる場合にはあたらないから、前記説示の一時使用の借家契約が認められる場合ではない。したがつて、この点の控訴人主張は失当である。

三法定更新について

控訴人は昭和四一年六月ころ被控訴人に対し更新拒絶の意思表示をしたと主張するが、右主張が理由がなく、本件賃貸借は当初の期間満了とともに更新されたものというべく、この点についての当裁判所の判断は原判決理由(八枚目表一〇行目から同裏六行目「べき」までの部分。但し、次に「である。」を入れる。)と同一であるからこれをここに引用する。

四正当事由による解約申入れについて

1  本件賃貸借は前記二のとおり昭和四二年一二月二日法定更新されたものであるところ、控訴人は昭和四三年二月七日本件訴状送達により被控訴人に対し、解約申入をしたものとみられること記録上明らかである。

2  そこで、正当事由について検討する。

(一)  賃貸人である控訴人側の事情についてみるのに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件家屋とその敷地及びその地上の他の二棟の家屋は昭和一四年ごろ控訴人が自ら使用する目的でこれを取得し、本件家屋(八畳、六畳各二室づつのほか玄関、台所、風呂場、廊下、便所等がある)には、控訴人の子である豊四郎(二男)、豊五郎(四男)、豊靖(五男)ら子女六人と家政婦トメが居住し家屋(一〇畳の寝室、八畳の書斎兼客間、七畳の居間のほか玄関、台所、風呂場、物置、廊下等がある)は主として控訴人が週末や休日等に来て思索や休息に使用し、家屋(階下八畳、二階八畳六畳のほか玄関、台所、風呂場、物置、便所等がある)は控訴人の主宰する各会社の寮として会議や接待等に使用されるほかこれら土地、建物の管理人塚田シンが階下に居住し、各棟それぞれ一応独立家屋としての構造はもつていたが、控訴人の手に帰してからは各棟が互いに相補い、敷地の中にも仕切りを設けず、特に本件家屋は三棟の入口にあつて玄関のような役割を有し、全体が長谷観音の近くという環境と相まつて控訴人方の別荘兼住居(控訴人はこれを「松風荘」と名付けている)としての機能を果して来たものである。

(2) ところが、たまたま控訴人が代表取締役をしていた同族会社の一つである破産会社が昭和四〇年六月一八日破産宣告を受けたため、後記の他の同族会社の債権者からの債権取立が厳しくなり、控訴人の家族の本件家屋での生活も脅かされるにいたり、また、豊四郎らも一時他に転職する便宜上などから、同人らはそのころ逐次本件家屋から転居して空家となり、控訴人自身も一時ここに寄りつかなくなつた。管理人の塚田は控訴人方の税金、燃料代、家屋の維持費等の立替を余儀なくされたので、やむなく前記のように控訴人の妻の了解だけで本件家屋を被控訴人に賃貸したのであるが、当時右のような情況であつたので塚田自身相当長期にわたるものとは考えず、控訴人も同人の説明をきき、また被控訴人にもあつて、被控訴人がかつては会社経営に当つたこともあり、いずれ近い将来自宅を建築して移転する希望を有することなどをきいて、比較的短期間に返還されるであろうとの感触を得たので、不本意ではあつたが塚田のした本件賃貸借を追認したものである。

(3) その後、破産会社の破産管財人は昭和四一年五月一八日ころ控訴人の経営する他の同族会社の橋本金属株式会社(控訴人が代表取締役。以下、橋本金属という)、株式会社江戸川金属製作所(控訴人が代表取締役。以下、江戸川金属という)、大洋金属株式会社(但し、設立登記は昭和四一年六月二四日、控訴人が代表取締役)との間に、右会社らが破産会社の債務の一部を引受ける等の契約をし、右会社などの企業を再建することとなり、控訴人は昭和四二年二月二四日同族会社である橋本石油株式会社を設立して、控訴人がその代表取締役、豊五郎が監査役に就任し、次いで、同年一一月二〇日江戸川金属についても控訴人、豊四郎、豊五郎が同様の役職に就任し、これら同族会社の関係従業員は約五〇名に達するにいたつた。

(4) そこで控訴人は豊四郎、豊五郎の右会社上の地位を考慮し、本件建物に同人ら各夫婦及び豊靖夫婦(昭和四一年三月三〇日栄子と婚姻)を居住させたいと考えた。当時、豊四郎は東京都江戸川区東小岩四丁目二四番六号の妻の実家方に、義父母、義妹とともに五人で生活し手狭であり、豊五郎は東京都江戸川区中央三丁目一一番一二号で六畳一室を賃借居住し、豊靖は千葉県市川市南八幡一丁目一九番七号で六畳一室を賃借居住し、ともに手狭であり、本件家屋に居住すれば他の家屋の利用と相まつてそれよりは若干広くなり、また、同人らは従前の一時的な転職をやめ再び右各同族会社の再建をすることになり、そのためには本件家屋に居住する方が地理的に便宜であるとともに体面上も好都合であることなどから、同人らもまた、本件家屋に入居することを希望していた。

(5) もつとも控訴人は昭和三九年に妻を失い、また自らは東京都内に住居を有し、前記家屋は、前記のように控訴人が週末や休日等だけ来て使用するがそれ以外は使用せず、家屋の使用状況も前記のとおりであるから、豊四郎らがこれを使用しようとすれば使用できる状態にある。また、本件家屋敷地を含みその地続きに控訴人が所有する土地は、約二、六四五平方メートル(約八〇〇坪)に及び、右三棟以外に建物がなく、右土地にも居住用建物を建てようとすれば建てることができないわけではない。

(6) なお、橋本金属については、昭和四三年一一月一日豊四郎が取締役、豊五郎が監査役に就任し、昭和四五年八月二一日改選後も同様の役職にあり、大洋金属については、昭和四四年一二月一日豊四郎が取締役、豊靖が監査役に就任し、同人らは現在もなお、そのような同族会社の役職の地位からみて借家等ではなく本件家屋に居住したいと望んでいる。また、控訴人は昭和四五年一二月八日(原審における控訴人本人尋問の際)被控訴人に対し、当初控訴人が追認した二年の期間内に受領した全賃料額に相当する金四八万円を明渡料として支払う意思あることを表明したが、被控訴人は明渡に応じなかつた。

(二)  次に、賃借人である被控訴人の事情についてみるのに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 被控訴人方ではもともと自宅を有していたがその事業上必要からこれを手離し、借家住いを余儀なくされ、本件家屋も仲介人の紹介で賃借することとなり、その際長くは貸せないとの賃貸人の意向を知り、それでもよいとしつつ当初の期間を二年と定めたもので、もちろん更新の可能性はあるとはいえ、自分も事情が好転すれば近い将来再び自宅を取得して転出する希望を有し、その希望を有することは控訴人側にも表明した。

(2) 解約申入のあつた昭和四三年二月ころ被控訴人は無職で不定期に就労して得た金で生活を維持しており、本件家屋には被控訴人のほか妻美津江、長女繁子(一八歳)、三男義徳(一七歳)が居住しており、適当な転居先の心当りもなく、転居する資金にも乏しい状態であつた。

(3) しかし、控訴人は右解約申入当時及び前記(一)(6)の明渡料提供の意思表明を受けた時点で、是非とも本件家屋に引続き居住しなければならないとする職業上、家庭生活上、その他物心両面における特段の事由は存在せず、その転居資金さえあれば他の適当な代替家屋に移転できる状態であつた。また被控訴人は控訴人に対し、本件賃貸借成立の際礼金一万円を支払つたほかは権利金、敷地を支払つておらず、本件家屋は昭和二七年に建築され、本件賃貸借成立時すでに相当修繕を要する箇所があつたが、未だ使用に耐える状態であつた。

(4) 被控訴人は昭和四四年二月ころは会社員として就職し通常の程度の収入を得ていたが、そのころ会社の勤務の都合上静岡県沼津市本字宮町四五七番地東邦食品内に一時的に滞在し、その住民登録も移動した。しかし、妻美津江ら家族の者は本件家屋に引続き居住していた(そしてその後長女は結婚して他に転出し、現在本件家屋には被控訴人夫婦と成人して他に就職している三男が住んでいる)。

(三) 前記認定の(一)、(二)の各事実によると、控訴人が被控訴人に対し本件賃貸借解約申入をした昭和四三年二月七日当時の家主である控訴人と借家人である被控訴人との本件家屋使用の必要度を比較すると、被控訴人の方が遙かに高く、期間も賃借後わずかに三年余で当初の事情はさして変化せず、控訴人は本件家屋をあえて明渡を受けなくてもそれほどの不都合はまだ生じておらず、これらの事情からみると、右解約申入当時にはまだその正当事由があつたものということはできない。

しかし、正当事由に基づく賃貸借終了を原因とする建物明渡の請求訴訟において、たとえ、賃貸人の解約申入の当時正当事由がなくても、賃貸人がその後引続き明渡を請求するうち事情が変つたため正当事由があることになり、その時から口頭弁論終結時までに六か月を経過したときは、裁判所は右請求を認容することができるものである(最高判昭和二九年三月九日、同昭和四一年一一月一〇日、同昭和四二年一〇月二四日など参照)。本件において、前記各事情の下においては、もともと本件家屋は控訴人方で貸家とするため所有していたものでなく、本件賃貸借は一時使用のためではないけれどもそんなに長期に及ぶものではないことを互いに了解してなされたもので、貸借後相当程度の期間が経過し、控訴人側でもこれを使用する必要性が次第に増大して来たのに対し、被控訴人側では家族構成も比較的小人数で被控訴人自身勤務の都合上他に止宿することが多く、その住居として必らずしも本件のような別荘風の一戸を必要とする特段の事情はなく、アパート等への入居を含め、他に住居を求めることは、多少の資金を用意すれば左程困難ではない社会的情勢にあつたものであることを考慮すれば、前記(一)(6)認定のように、控訴人が昭和四五年一二月八日被控訴人に対し当初承諾した二年の期間内の全賃料額に相当する金四八万円を明渡料として提供する意思を表明した時点で、解約の正当事由は補完され、具備するにいたつたものということができ、その日から六か月後の昭和四六年六月八日の経過とともに本件賃貸借は終了したものということができる。控訴人の所有する家屋の使用情況、それらの敷地の広さの如きは、もともとこれが控訴人の別荘様の存在であつたことからすれば、その用法に従つた使用に供するものとして当然のことであり、そのことの故に控訴人に使用の必要がないとすることはできない控訴人が別に住居を有することもまたなんら右正当事由を阻却するものとしえないこと、前同様である。

五以上のとおりであるから、控訴人が被控訴人に対し明渡料として金四八万円を支払うのと引換えに、被控訴人は控訴人に対し、本件賃貸借終了に基づき、本件家屋の明渡しと、本件賃貸借終了後の昭和四六年六月九日から昭和四八年一一月三〇日まで一か月金二万円(従前の約定賃料相当額。これを越え金三万円である旨の控訴人主張はこれを認められる証拠がない。)、同年一二月一日から明渡ずみまで一か月金三万円(当審における被控訴人本人尋問の結果から認められる賃料相当額。これを越え金六万円である旨の控訴人主張はこれを認めることのできる証拠はない。)の賃料相当損害金の支払義務を負う。控訴人の本訴請求は右の範囲で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきところ、これと異なる原判決は失当で本件控訴は右の限度で理由があるから、原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(浅沼武 蕪山厳 高木積夫)

目録〈省略〉

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